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NLP(神経言語プログラミング)についての本を読んだ-ミスコミュニケーションを防ぐ

実際読んだのは去年だけど。

せっかくブログなんてものをやっているので、なにかまとめておこうかと思ったり思わなかったり。

別に大したことはまとめないけど。

 

正確には「NLPコミュニケーション」の本。

 

読んだのは『マンガでやさしくわかるNLPコミュニケーション』。

 

マンガでやさしくわかるNLPコミュニケーション-山崎-啓支|Amazon

 

このシリーズはとっかかりとしてはとてもわかりやすいと勧められたので。最初に読んだのはコーチングの本だったけど。

 

NLP神経言語プログラミングのことで、人間の神経とか考え方って言うのもプログラムと同じですぅってことらしい。この本によると、その人の体験とか価値観がプログラムを作り、それと同じことが起きた時にそのプログラムが起動するということっぽい、ざっくり言うと。

 

例えば、小さい頃に犬に吠えられた人は、犬=怖いというプログラムができて犬を見るとプログラムが動いて怖くなる。という寸法。

なんのこっちゃであるが、意味は理解できた。

事実自体は無色透明であるが、その人の観念、価値観、思い込みが問題を作る、ということだそうで。

 

思い込みを取っ払って事実を見つめてみれば解決することもあるんじゃない?という感じ。

うぉぉ、なんだか胡散臭いぜ!と思いながらもためになったことがいくつかある。

 

あくまでも読んだものがNLP“コミュニケーション”の本なので、他者と会話するときに使えるテクニック的なもの。自己対話でも使えるかもしれないけど。

 

 

ミスコミュニケーションが起こる原因

仕事をしていると、ミスコミュニケーションって起こりがち。

「●●やっといて」「はい!」

って会話が行われたとして、期待通りの結果が返ってくればいいが、なぜか的外れな結果が返ってくることがある。あるよね?

いや、お前「はい」って言ったんだから理解できてたんとちゃうんかいと。

 

これは極端な例なので、指示者がもっと確認すれよとは思うが。

 

こんな風に相手に伝えたいことが上手く伝わっていないミスコミュニケーションはなぜ起きるのか。

 

コミュニケーションを取るときは基本言葉で考えを伝えると思うが、その伝えた言葉というのは話者の中で伝えたいことを省略・歪曲・一般化されている。

省略→必要のないと判断した情報を省くこと(箱根の温泉街の○○という旅館に泊まった→箱根の旅館に泊まった)

歪曲→自分の価値観などによって事実がゆがめられること(最近の若者は~~~)

一般化→「いつも」「みんな」など例外が排除されていること(みんな○○持ってるよ!)

 

どれも会話する時にごく自然に行っていると思う。

 

そしてその言葉を受け取った受け手は、言葉そのものは正しく受け取っているが、その言葉の中にある空白(省略された情報などが分かりやすいと思う)を自分の体験などで埋めようとする

こうして話者の言葉が受け手の体験によってゆがめられる。これがミスコミュニケーションに繋がる。

 

話者が伝えたいことがゆがめられて言葉となり、それを受け手がさらにゆがめる。

表面上の言葉は伝わっているように見えても、本当に齟齬なく伝わっているかと言われるとそうではない。

 

なので、新人に「指示されたことは復唱して確認しろ」と指導することがあると思うが、それだと言葉は正確に理解することができるかもしれないが、内容そのものを理解しているかはわからない。

その結果、確認したにも関わらず期待する結果が返されないことがあるのだ。

 

ほーんなるほど。まぁたしかにその理屈はわからなくはない。

 

ミスコミュニケーションを防ぐには

 

ではこのミスコミュニケーションを防ぐにはどうしたらいいか。

 

それは、省略や歪曲を正せばいい。もっと細かく聞けってことだな。

 

さらには、言われたことを復唱するのではなくて、自分の言葉で確認をしろということだ。自分なりの言葉で。

 

これはひっじょーによくわかる。

 

私も新入社員のころ、先輩に指示を出されたときにまぁ何を言っているかなんとなくでしか理解できないことがあったあった。なんだか専門用語が飛び交う業界なものだから、自分と先輩のそもそものレベルが違う。同じ言語を話せるわけがない。復唱はそりゃできるけどそれに何の意味が?と思っていた。

 

ので、「ちょっと今からやることを確認しますね」と一言言ってから、先輩の言っていたことを自分なりの、しかもかなり稚拙な言葉で言い換えて確認をしていた。

先輩が一言で済ませていた指示を、もう膨れ上がらせて確認していた。

 

それは、省略と歪曲を正すことであり、言葉ではなく内容を理解するために必要なプロセスだったらしい。

 

できてるじゃんじぶーん!ということで、これは単に自慢なのだが、もし今後自分が指導する側になったらこの点は気をつけようと思う。

 

学習したことを自分の言葉で説明できたら理解できたことになると思っていたが、それはコミュニケーションでも同じようだ。

 

なんだか長くなったので続きは別記事で。

 

 

y-a-d.hatenablog.jp