傘はあまり差したくない人

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撮影賞を獲得した『1917 命をかけた伝令』を観てきた。

ほんとは『アンストッパブル』を見ようと思っていたがもう手遅れだった。

ということでアカデミー賞で視覚賞効果賞、録音賞、そして撮影賞を受賞した『1917 命をかけた伝令』を観てきた。

ネタバレあり。

 

 

三部門受賞した今作だが、特筆すべきはやはり撮影手法か。

とにかくものすごい疲れた。尋常じゃないストレスにより、途中後頭部が異様に痛くなった。

 

これはものすごい映画だ。

 

あらすじとキャスト

 

第一次世界大戦真っ只中の1917年のある朝、若きイギリス人兵士のスコフィールドとブレイクにひとつの重要な任務が命じられる。それは一触即発の最前線にいる1600人の味方に、明朝までに作戦中止の命令を届けること。
進行する先には罠が張り巡らされており、さらに1600人の中にはブレイクの兄も配属されていたのだ。
戦場を駆け抜け、この伝令が間に合わなければ、兄を含めた味方兵士全員が命を落とし、イギリスは戦いに敗北することになる―
刻々とタイムリミットが迫る中、2人の危険かつ困難なミッションが始まる・・・。

公式サイトより

 

 

観る前になにも調べなかったため、そもそもなんの戦争でどこの国の話なのかもよくわかっていなかったがそういうことらしい。なんとなく第一次世界大戦かな?と思いつつも。

いいんです、そんくらいの気持ちで。

 

キャストは、主演にジョージ・マッケイ。『マローボーン家の掟』が記憶に新しい。てかそれしか観たことない。

脇を固める俳優陣が非常に豪華で、マーク・ストロングコリン・ファースベネディクト・カンバーバッチなどいずれもイギリスを代表する名俳優ばかり。

 

でもな、こういう戦争映画で大事なのは誰がでているかじゃねぇんだ! 

 

ワンカット撮影

本作は事前の宣伝でも「衝撃のワンカット撮影!」を売り文句としていた。

元々は「ワンカットに見える撮影」という情報を得ていたので、「なんて誇大広告だ」と思っていたが、あまりにもワンカット撮影!と言われまくるものだからわからなくなった。

 

で、観てみたら

 

めちゃくちゃワンカット撮影~~~~~。

 

なん、なんぞ~~~~~?

 

ずっと途切れることなくカメラを回し続けているではないか!ひぇっ。

ずっとだ!ずっと!ずっとだよ!切り替えないんだよ!

 

あとで知ったが、やはりずっとカメラを回していたわけではなく、長回し撮影をしつつあとですべてが繋がっているように超絶技術でもってして編集したようだ。

監督のサム・メンデスはカメラ回しに定評があるそうで(作品観たことない)、だからこそのこだわりだろうか。

 

そしてこのワンカット(に見える)撮影の効果があまりにも効果的すぎた。効果が効果的すぎ。

 

そもそも長回しのシーン自体は他の映画にも普通にある。私の長回しお気に入りは『アトミック・ブロンド』でシャーリーズ・セロンがぼこぼこに戦うシーン。

こういう長回しは途切れることが一切なく常に状況を画面に伝え続けるので観ているものにも緊迫感をダイレクトに伝える。常に緊張し続けなければいけない。いつ息をすればいいのか、いつリラックスすればいいのか、その一息が見えない。

 

この効果は今回のような戦争映画では非常に重要だろう。

戦争、しかも戦地真っ只中において、なーにがリラックスだ。しかも1917は仲間に命令を伝えるために敵兵がいるかもしれない平原を駆け抜けたりする。そんななか、ふぅなんてやってられるか。ポップコーンを食う暇なんか伝令兵にはないんだよ!!

 

さらにシーンをカットしないことによって、視覚的に不自由を感じるという点も非常に大きい。

シーンの切り替えがないせいで、今目に見えている世界がすべてになってしまう。切り替えがあるからこそ、別人物の視点でものが見えたり、主人公たちが見えない景色も観客たちだけが知ることができたりする。ある種、観客の特権とも言える安心感を得ることができる。

 

その安心感が1917にはない。カメラワークにより多少か周りの状況が見えもするが、限界がある。常にウィル(主人公)の周辺しか状況がわからない。不安だ。何が起こるかわからない。検知できる状況が狭いせいで敵兵が現れるときもあまりにも突然。なんの前触れもない。音楽で教えてくれるわけでもない。しかしそれが戦争であり戦場だ。

シーンが途切れないことにより、時間感覚までも彼らと共有することができる。少し先に進むだけでなんと時間と精神を削り取ることか!

息つく暇もなく、視界に不安を覚え、突然の敵襲を恐れる。

そんな戦争体験を、あのワンカット撮影で実現させている。めちゃくちゃに神経を使いすぎて本当に疲れた。休む暇が本当にない。

 

えぐい。

 

あと音楽の使い方がよかった。過度に音楽を流すわけでもなく、基本はウィルたち兵の足音、風のざわめき、ねずみの鳴き声などで場面が構成されるが、ひとたび緊迫のシーンになると不安をかきたてるような音楽が徐々に徐々に音量をあげて耳をつんざいてくる。まじうるせぇ、いい意味で。強制的に私を戦場につれていく。くそ、これが音楽の力か。

 

全編ワンカット(に見える)撮影、思っていたよりもすごかった。

 

 

戦争と映画

戦争映画ってそんなに好きじゃなくて、何でだろうと思うと、過剰にお涙ちょうだいな気がしてしまうからかなと思っている。

誰かをピックアップしてひどい目に遭わせて、ほうら戦争ってよくないものでしょ?と押し付けてくる感じがする。そんなこと言われなくても戦争がよくないものなのはわかってるよ......となってしまう。

そして、戦争には常に悲劇のヒーローないしヒロインがいるものなんだなという間違った方向の思いが根付いてしまった。いや間違ってはないんだけどさ。

 

が、クリストファー・ノーランの『ダンケルク』を観てからは考えが変わった。

あの映画は、誰か一人のヒーローではなく、戦争に参加している(せざるを得ない)群衆をただ淡々と描いていた。そこには特別戦争を批判するようなメッセージは埋め込まれておらず、ただ描いただけともとれた。それでも私は、戦争とはおろかであると感じた。そして戦争にはヒーローはいないと。ただ個人がそこに集まって戦って死んでいくのだと。

皆が皆、特別な何かを抱えていたとしても、戦争を前にするとただのモブであることをしった。そしてだからこそ、モブの物語もないがしろにしてはいけないのだと。

 

(いやわかってるけどね、戦争映画に限らず物語というのはたまたま誰か一人に焦点を当てただけでみんながみんな主人公なんだよってことは。)

 

そして今回1917を観てまた色々考える。

 

主人公であるウィルやその相棒トム。彼らのバックボーンはあまり明らかにされない。ただただなんでもない一個人。たまたま伝令兵に選ばれスクリーンに写し出されている人物。

そしてスクリーン上で何度も映る死体たち。まるでただの風景のように通りすぎて行くが、そしてウィルたちもそのうちなんでもないように進んでいくが、その死体たちもウィルたちとなんら変わりはない。塹壕にいる負傷した痛々しい兵士たちもまた。

すべて同等だ。

 

しかしなんということか、私は死体や負傷した兵士たちに対しては「戦争とはひどいものだ」と思うだけだったのに、トムが腹をさされて死に行く姿には涙を禁じ得なかった。家族の写真を胸に、兄のことを託すトムを見て泣いてしまった。たかだかスクリーン上で数十分姿を追い続けただけなのに。うへぇ。

ここで「戦争とはひどいものだ」と知った風に思っていた私は、なにもわかっていないことを知る。おろか。おろかである。なーにが戦争はよくないよねーだ。

ダンケルク』でヒーローはいないんだ、モブしかいないけどモブの物語が大事だ!とか思ったのに、もう忘れてる。

何回戦争映画を観ても忘れるのである。くそ。

 

トムをさしたドイツ兵に向かって悪態をつきたくなる。

おろか!!

そのドイツ兵にだって並々ならぬストーリーがあるかもしれないのに!ましてや私はWW1のことだってろくに知らないし日本人だし、なのになぜトムの肩をそんなにも持つのか!

一方をそうやって訳もわからず憎んでいるうちは戦争なんてなくならないんだ!戦争はよくないなんてわかってるわいとか言っている私のような存在が戦争を起こすんだ!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

 

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

 

と、内心発狂した。

 

しかし映画のラスト、トムの死に涙を流すトムの兄を見て、これはきっと戦争においては特別な光景ではないんだなと思った。

思いながら、でも誰かがこんな風に悲劇的になるこの光景はやっぱり特別なんだよなと思った。戦争という状況でなかったら普通ではない光景なんだ。

 

誰か特別な人が死んでしまう異様なイベントが、戦争という舞台になるとただモブが死ぬイベントになる。

これが戦争の恐ろしさか。と1917を通して思った。

 

さんざんモブモブいっていてわしゃ霊幻新隆かと思うが、でもまぁウィルはやっぱりヒーローだよねっ☆と思っちゃうのもおのれの愚かさだなぁと思いました。