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ゼロ・グラビティを見た。ご都合主義でも感動したっていいじゃない。

サンドラ・ブロック主演のゼロ・グラビティを観た。

公開当初観に行きたかったが、なんか観に行けなかった作品。宇宙空間の話なのででかい画面といい音響で観ないと意味ないなと思って今まで家で観れなかったが、こういうときのVRゴーグルである。

ネタバレあり。

 

 

公開してからというものの、この映画の評判はあまりよくなかったように思える。予告で見ていたのからイメージしていた内容とは離れている、とか邦題の付け方がくそ、とか。

ちなみに原題は「Gravity」、重力である。邦題が無重力なので逆。

 

ただ海外の賞レースではノミネートされまくり受賞されまくりなので、多分日本のプロモーションの仕方がよくなかったんだろうな。

 

てかこれ2013年の作品か、もっと最近だと思っていた。こっわ。

 

あらすじ

宇宙で作業していたらロシアがぶっこわした衛星の破片が飛んできてクルーが死んだりして自分も宇宙空間にふっとばされちゃいました。

酸素もあんまりないしこのまま死ぬ~~~と思っていたら仲間が助けに来てくれたよ。このまま地球に帰れるのか!?

 

 

 

結果は、帰れる。

ただし途中助けに来てくれた仲間(ジョージ・クルーニー)はISSに戻るときにつないでいた紐が切れちゃって漂流者になっちゃう。あ、これFF8で見たやつだ!

たった一人になってしまったライアン(サンドラ・ブロック)はISSに戻るも地球と連絡は取れないし破片がぶつかった影響で火災は起こるし、じゃあ緊急離脱だと思ってもISSにからまっているパラシュートのせいでうまくいかないし、なんとか脱出して中国の宇宙ステーションに行こうとしても燃料がなくなっちゃってるし。

 

いや、

 

宇宙行きたくね~~~~~~~~。

 

地獄~~~~~~。

 

本当にずっとハラハラしてしまう。たった一人という孤独が何よりつらい。ジョージ・クルーニーが軽快に会話してくれていただけあって、1人になったときの絶望感が本当にパない。そりゃライアンも酸素切ってそのまま死のうとするわ。

でもそこで幻のジョージ・クルーニーが現われたのは、ライアンが生きたいと思ったからなのかなぁ。そこで娘の死をも力強く受け入れて、なんとしても地球に帰ってやる!と気迫を見せたのはかっこよかった。超泣いた。VRゴーグル付けてるので泣くと気持ち悪いのが難点。

 

そして無事地球に帰還。湖?に不時着したので、船内に水が入りまくった際には終わった……と思いました。ああいうのアトミックブロンドとかトランスでも見たけど、まじで怖いからつらい。

そして、ながらく無重力空間にいたためか、地球の重力にうまく体を起こせずに地面に突っ伏すライアン。それが逆に母なる大地を全身で感じているかのようで素晴らしい。そして重力に逆らないながらも立ち上がり、大地を踏みしめたところで「Gravity」の題。う~ん、こういう使い方なら確かにゼロ・グラビティという邦題はミスかもしれない。

 

邦題に対する苛立ちというのは、理解できた。でも無重力という題の方が、孤独な宇宙空間に漂っている感があるんだよねぇ。洋画の原題って、それを聞くだけだとどんな内容かわからなくて、でもかっこいいのよ。ただそれだと映画好きしか見ないのよ、きっと。だからわかりやすい邦題っていうのは仕方ない。

 

で、他に何が不評だったのか考えたときに、予告と印象が違う感じ?

予告だと、宇宙空間をライアンがただ一人漂っていて、ひたすら広がる暗闇と無音みたいなのを表現していたと思うの。その予告を見て、怖そうだけど映画館で観ないと意味ないなと思ったわけで。

でも実際観てみると、まず宇宙空間をライアンが1人で漂っているというのはわりと短い時間。すぐ仲間が見つけてくれるから。これはまぁしょうがない。宇宙服に積んである酸素だけで映画一本分さまよえるわけないし、そんなにさまよった挙句助かるなんてことはいくら映画とはいえフィクションが過ぎる。実際宇宙空間を漂わなくてもライアンはほとんどを一人で過ごすのでまぁ、いいかな。

ただ、ちょっとこれはいただけないなぁと思ったのが、音楽を多用しすぎていること。宇宙という無音の空間で自分の息遣いしか聞こえない、みたいなのを期待していたのだが、わりとずっと音楽がなっている。ライアンがパニックですよ~という心情を音楽で訴えてくる。う~ん、これはいらないんじゃないかなぁ。せっかく宇宙空間の絶対的な孤独を描いているのに……。無音だからこそライアンの息遣いだけでパニックは十分伝わると思う。無音だからこそアニンガの子守歌が効いてくるんだと思う。

そこが不満だったかな。

 

あとは、あまりにもご都合主義なところが、嫌な人には嫌だと思う。

宇宙空間に放り出されて結構な時間が経っているのに助けられるライアンや、酸素の量があまりにも減っているのにのんきにおしゃべりをしてしかも結構持つ酸素、仲間を助けたいはずなのに一回眠るライアン(しかも子宮にいる赤ちゃんのようなポーズを取っている、安易な母体回帰やめろ)、あんなに機体にぶつかったのにほぼ無傷。

最後の消火器を持ってステーションに入ろうとする場面とかはさすがにギャグかな?と。

 

でもいいじゃない!フィクションなんだもん!フィクションにリアルを求めてどーすんの!?そしたら冒頭でライアン死んでるがな!!映画作れんわ!

ご都合主義で号泣しちゃうくらいでいいんですよ!そうじゃないと何本も映画見て楽しむなんてことできません!

適度な緩さがあるからこそ、何を見ても楽しいと思えるんですよ!

 

 

サンドラ・ブロック久しぶりに見たけど美人だな。