傘はあまり差したくない人

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2019年版ペットセマタリーはもう一つの世界線と思い納得することにした。

2020年1月17日、公開初日に『ペットセメタリー』を観てきた。

本来であれば、スペルミスありきの題のため『ペットセマタリー』であるべきが、なぜか『ペットセメタリー』になっていた。なんでだ。

 

ネタバレあり。

 

petsematary.jp

 

原作を元にした新たな展開

原作は一週間前に読んでいたため、特に何も考えず映画館へ。

 

y-a-d.hatenablog.jp

 

全然関係ないけど、観る前にラーメンを食べたら予告の間中ずっと喉が絡まって咳をしてしまった。ラーメンは映画を観た後に食べるべき。

 

シアターに入る前にポスターを確認(それすらしていなかった)。

ポスターには

「娘は生き返ってはいけなかった」

の文字が。

 

娘?

 

あれ、息子じゃなかったっけ?

 

なるほど、ペットセマタリーの映画化自体は既にしているため、映画オリジナルの脚本にしたんだなと納得しておく。

 

とはいえ観る前になんとなく不安が。息子と娘では大分メッセージ性も変わりそうだなと。あと、映画オリジナルにされると、せっかく原作を読んで恐怖シーンイメトレをしていたのが無駄になってしまう。私はね、ホラーが苦手なんだよ!!

 

怖かった

怖かった。

 

 前半は概ね原作にそって話が進んだ。そのおかげが、怖いポイントを事前に把握できていたのが強い。

なんせ、開始そっこーでなんだか怖い雰囲気になるものだから。手に汗しか握れない。

 

ヴィクター・パスコ―は絶対カットされると思ったんだかなぁ!!しかしそれも展開を知っていたのでなんとか乗り切る。パスコーはいいやつだしな!

チャーチが不気味だったりするのもなんとか乗り切れる。所詮猫だ!!

 

が、後半はオリジナル展開が多く、もうメンタルはボロボロだ。

唯一の救いは娘役の子役が可愛かったこと。生き返った後の片目がだるんとなっている様は不気味だったが、不敵な笑みとかは可愛かった。そのあとどんな凶行に及んだとしても一時の安らぎを得られたぞ。

 

一番怖かったのは、レイチェルの姉、ゼルダの演出。あれは許さない。心の中で何度も「ペットセマタリー関係ないじゃん!ペットセマタリー関係ないじゃん!」と叫んだ。

昇降機がトラウマになりそうだ。洗面所のシーンは目を瞑らさせていただいたぞっ。

レイチェルのトラウマが物語において大事なのはわかるが、だとしても過剰すぎる。ジャパニーズホラーかよ。

 

「if」展開ならあり得る

内容についてだが、原作を読んでいる身としては最終的にどうなるのかがわからずハラハラした。

途中までは同じ展開だが、息子・ゲージではなく娘・エリーがひかれるところから大幅に話が変わる。 

原作ではゲージをペットセマタリーに埋めるまでが非常に長かったが、映画では蘇った後のホラー展開に比重を置いているためわりとあっさり。

 

蘇った夜のルイスの感極まりよう、どうかしてるぜ。風呂場で髪をとかすシーンは気持ち悪すぎた。ゾンビが風呂に入るってなんだよ……。

 

そこからはエリ―の無双が始まる。

 

手始めにリビングの食器やらなんやらを壊しまくる。隣人のジャドを、亡き妻・ノーラの姿になって罵りまくる(変身能力すごぉい)。そのあとジャドをめった刺しにする。母・レイチェルに襲い掛かる。母・レイチェルの背中をぶっさす。ついでに父・ルイスもぶん殴る。

 

などなど盛りだくさん。

 

最後は墓地での大格闘の末、父・ルイスが愛する娘をこの手でもう一度死なせる……!!

 

とはならないわけで……。

 

それはどうなのよ……と絶望感たっぷりの終わりを見せてくれた。明らかに原作とは違うラスト。

 

だが、全然あり得ると思う。

 

原作で死んだのがまだ2歳か3歳そこらの息子・ゲージだったから、ああいう結末になったのだ。まだ非力なゲージだったから。

だからこそ、何人かはやられたが最終的に父が勝利し(狂気にはとりつかれたままだけど)、エリーは祖父母の家で難を逃れることができた。

 

が、エリーが死んで蘇るとたしかにこうなっちゃうだろう。

 

なんせ今回のエリーは9歳と言う設定(原作だと5歳とかそこらへん)。頭もいいしゲージに比べたら力も強い。

そりゃあ大人だって倒せてしまってもおかしくない。自らの手で葬った母親を墓地に埋めに行こうとする発想も出てきてもおかしくない。

 

さらには、ゲージの存在。

原作ではパスコーが戻るよう促すのは当然エリーに向かって。それを聞いてレイチェルはラドロウに戻るが、エリーは祖父母の家に預けたままだ。そのためエリーだけは難を逃れている。

が、映画ではパスコーからお告げを受けるのは幼いゲージ。レイチェルはまだ意思疎通も難しいゲージを祖父母の家に置いていくことができずに一緒につれてラドロウに戻る。結果としてレイチェルはゲージを守らなくてはいけなくなり、そうして一家全員がエリーの餌食になってしまった。

 

姉であるエリーが死んでいたらこうなるよ、というパラレルワールドだと思えば、わりといい話の運び方だったんじゃなかろうか。

 

 

映画では不十分であり、映画でも十分 

と、話運びは十分よかったが、やはり物足りなさもある。

スティーブン・キングの良さはねちっこいほどの説明過多と、日常描写。100分ほどで収めるには無理がある。

映画で観るとスティーブン・キングっぽさが薄れてしまうのが残念だ。

 

当然はぶかれたエピソードもある。

特にルイスと義父の確執がないのは大きい。映画中でも義父がルイスを見る目がちょっと軽蔑じみてはいたが、彼らの間にはもっと根深いものがありさらにはそれが物語を揺らしたりするのでもったいないなぁと。

 

あとはゲージとの凧揚げのシーン。今回死ぬのがエリーのためゲージと凧揚げしてもしょうがないのだが、そういうルイスが家族、子供を何よりも愛しているという描写が欲しかった。あくまでもペットセマタリーは家族愛の物語のため、そこはもっとうまく描写してほしかったところだ。ただのホラー作品であってはいけない。

 

ただ、話としては前半部は特に原作を丁寧に描いているし、後半のホラーっぷりもキングっぽいっちゃキングっぽい。

長編を読むのがだるい場合は十分だと思う。

 

あと、ペットセマタリーって結局何なのかよくわからなかった、伏線が回収できていないという口コミをみたが、原作でもペットセマタリーが何かは明らかにされていないので、その辺も映画で十分だと思う。ミクマク族がなんちゃらかんちゃらってわかったところで何もわからないのと同じなので。

 

 

父親であるルイスが中肉中背のおじさんだったが、原作を読んだ時のイメージはもう少しすらっとしたオジサマだった。

隣人のジャドもずんぐりしたおじいさんだったが、もっとほっそりしたしゃきっとしたおじいさんを想像していた。

映像とイメージの乖離にはいつも悩まされる。

が、みんなとても良かったと思う。ゲージ可愛かった。

 

あまり公開館数が多くないっぽいのですぐ公開終了になりそう。今月は他にも観る映画がありすぎるけど、とりあえず優先してみた次第。

 

余談:スティーブン・キング炎上について

 

そういえばペットセメタリー原作者のスティーブン・キングアカデミー賞についてした発言で炎上しているようで。こんなことをTwitterで言ったわけで

 

The most important thing we can do as artists and creative people is make sure everyone has the same fair shot, regardless of sex, color, or orientation. Right now such people are badly under-represented, and not only in the arts.

 

創作に関わる我々がすべき最も重要なことは、性別、肌の色、志向にかかわらず、成功のチャンスを平等に評価する事です。
いま、そのような考え方の人間は芸術分野に限らず、ひどく過小評価されている。

 Stephen King @StephenKing

 

これが「多様性を無視した」と捉えられているらしい。Why?

ネットニュースを調べるとどれも見出しが「スティーブンキング、多様性を無視した発言により炎上」とか言っていてどれも貼る気にはならなかった。やばない?どの辺が無視しているんだ?むしろ尊重しているともとれるんだが?

黒人だからって近年の流れに沿ってひいきされたらそれはそれで誇りがないのかって思うし、女性だから注目させるっていうのはそれ、女性活動家が一番嫌う差別では?さらに、白人であってもクオリティが低かったらだめよねっていう話でもあるでしょ。

 

たまたま今年のアカデミー賞がそういう傾向になっちゃっただけで。

 

昔(今もかもしれないけど)、白人だから男だから優遇されていたから今度は我々も

優遇しろ!って言っているの?違うでしょ、平等を謳うなら作品の質を問うのは当然じゃないか。おてて繋いでみんなでゴールする運動会やってるんじゃないんだぞ。一番速いやつが勝つ、映画の賞だってそうであれ。

 

とはいえ、スティーブン・キングももう年だし、ある程度老害化している部分もあるんだろうなぁとちょっと悲しくもなった。